PL学園の「マエケン」から、メジャーのマウンド、そして2026年の日本球界復帰へ。
前田健太投手の歩みは、卓越した投球術と、逆境を跳ね返す強靭な精神力の証明でもあります。
広島東洋カープでエースの座を不動のものにし、海を渡った米国でもサイ・ヤング賞争いに加わるなど、その実力は世界に轟きました。
本記事では、プロ入りから楽天イーグルスへの加入に至るまでの、彼の波乱万丈な軌跡を紐解きます。
「赤いエース」として築いた広島の黄金時代
2006年、高校生ドラフト1巡目で広島東洋カープに入団した前田投手は、早くからその才能を開花させました。
代名詞となった「マエケン体操」で肩の柔軟性を保ち、精密なコントロールとキレのあるスライダーを武器に、2010年には史上最年少での投手三冠(最多勝、最優秀防御率、最多奪三振)を達成。
同年、沢村賞にも輝きました。
2012年にはノーヒットノーランを記録し、2015年には2度目の沢村賞を受賞するなど、広島の「背番号18」は日本プロ野球界を代表する右腕として君臨しました。
彼の安定感は際立っており、登板すれば必ず試合を作るその姿勢は、チームメイトやファンから絶大な信頼を寄せられていました。
メジャーでの躍進とトミー・ジョン手術の試練
2016年、ポスティングシステムを利用してロサンゼルス・ドジャースへ移籍した彼は、デビュー戦で初登板初勝利、さらには初本塁打を放つという鮮烈なデビューを飾りました。
移籍1年目に16勝を挙げる活躍を見せ、名門球団のローテーションを支えただけでなく、ポストシーズンでは救援としても貢献する柔軟性を示しました。
2020年にはミネソタ・ツインズへ移籍し、短縮シーズンながらサイ・ヤング賞投票で2位に入るなど、メジャーの舞台でも頂点に近い場所まで上り詰めました。
しかし、2021年に右肘のトミー・ジョン手術を受けるという大きな試練が訪れます。2022年をリハビリに費やし、35歳で迎えた2023年に復帰を果たした際、多くのファンがその不屈の精神に胸を打たれました。
デトロイトでの苦闘と1000奪三振の金字塔
2024年、前田投手はデトロイト・タイガースと2年契約を結びました。
このシーズン、彼は日米の通算成績においても重要なマイルストーンを達成します。
6月5日のテキサス・レンジャーズ戦でメジャー通算200試合登板を達成し、7月9日のクリーブランド・ガーディアンズ戦ではメジャー通算1000奪三振を記録しました。
これは野茂英雄氏、ダルビッシュ有投手に続く、日本人3人目の快挙でした。
しかし、2025年シーズンは彼にとって最も険しい道となりました。
タイガースでは救援での登板が主となり、防御率7点台と苦しむ中で5月に事実上の戦力外(DFA)を経験しました。
その後、カブスやヤンキースとマイナー契約を結び、37歳という年齢でトリプルAの若手と競い合う日々を過ごしましたが、そのひたむきな姿勢は失われませんでした。
東北の地で目指す「通算200勝」への道
2025年オフ、前田投手は大きな決断を下しました。
9年間に及ぶ米国での挑戦に区切りをつけ、日本球界への復帰を表明したのです。
移籍先に選んだのは、かつての盟友である田中将大投手が所属する東北楽天ゴールデンイーグルスでした。
2026年現在、日米通算165勝(NPB 97勝、MLB 68勝)という数字を手に、彼は楽天のキャンプ地で新たな挑戦を始めています。
35勝後に控える「名球会入り(通算200勝)」は、決して容易な目標ではありませんが、経験豊富な右腕が東北の若い投手陣に与える影響は計り知れません。
ベテランとなった今もなお、新たな球種やフォームの修正に余念がないその姿は、再び日本のファンを熱狂させています。
まとめ
前田健太投手のキャリアは、常に変化し続ける勇気と、困難に立ち向かう忍耐に彩られています。
広島での栄光、アメリカでの挫折と復活、そして楽天での新たな旅立ち。
37歳にして再び日本でマウンドに立つ彼は、記録以上に大切な「野球への情熱」を体現しています。
2026年シーズン、杜の都で背番号11(※楽天での仮定番号)が描く放物線に、日本中が注目しています。


















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