ロサンゼルス・エンゼルスの歴史と主な所属選手

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ロサンゼルス・エンゼルス(Los Angeles Angels)は、アメリカンリーグ西地区に所属するプロ野球チームです。

その歴史は、MLBのエクスパンション(球団拡張)時代である1961年に、カリフォルニア州ロサンゼルスで幕を開けました。

「天使たち」を意味するチーム名の通り、南カリフォルニアの野球ファンに長きにわたり愛されてきました。

創設者であり初代オーナーは、カントリー音楽の大スター、ジーン・オートリー氏です。

彼は「エンゼルスの試合がラジオで聴けない日があってはならない」という信念のもと、球団を設立しました。

チームは「ロサンゼルス・エンゼルス」として誕生した後、本拠地をアナハイムに移した際に「カリフォルニア・エンゼルス」「アナハイム・エンゼルス」といった名称変更を経て、現在は再び「ロサンゼルス・エンゼルス」の名を冠しています。

 

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黎明期:孤独な奪三振王の時代

 

球団創設後、エンゼルスはしばらくの間、地区優勝はおろか、プレーオフ進出にも手が届かない時代が続きました。

しかし、この時期に球団の歴史を語る上で欠かせない、偉大な投手がチームのエースとして君臨していました。

それが「ライアン・エクスプレス」の異名を持つノーラン・ライアンです。

 

 

ライアン投手は1972年から1979年までエンゼルスに在籍し、その間に4度のノーヒットノーランを達成するという、驚異的な記録を残しました。

彼の剛速球と圧倒的な奪三振能力は、低迷期にあったチームの希望の光であり、球団史上初の永久欠番「30」は、彼の功績を讃えるものです。

また、エンゼルスの創設初期から活躍し、後に監督も務めた遊撃手のジム・フレゴシも、この時代の中心選手でした。

彼は、ライアン投手とのトレードでチームを去る形となりましたが、献身的なプレーでファンに愛され、背番号「11」が永久欠番となっています。

 

躍進と惜敗:初めての地区優勝

 

エンゼルスが初めて地区優勝を果たしたのは、創設から16年後の1979年でした。

そして1980年代には、1982年と1986年にも地区優勝を達成し、強豪チームとしての地位を確立していきます。

この時代のチームを牽引したのは、強打者であり、のちにアメリカ野球殿堂入りを果たすレジー・ジャクソンや、三冠王の経験も持つ安打製造機のロッド・カルー(永久欠番「29」)といった、他球団から移籍してきたベテラン選手たちでした。

 

 

さらに、チームの生え抜き選手としては、外野手として活躍し、監督としても手腕を発揮したドン・ベイラーらが打線の中核を担いました。

しかし、この時期のエンゼルスは、アメリカンリーグ優勝決定シリーズ(ALCS)で敗退し、ワールドシリーズ進出を目前で逃すという、ファンにとって惜敗の記憶が多い時代でもありました。

特に1986年のボストン・レッドソックスとのALCSでは、ワールドシリーズ進出に王手をかけながら逆転負けを喫し、「エンゼルス・カーズ(呪い)」という言葉がささやかれるきっかけにもなりました。

 

90年代:長距離砲の登場

 

1990年代に入ると、エンゼルスは才能豊かな生え抜きの外野手たちを輩出します。

長年にわたりチームの主砲として活躍したティム・サーモンは、1993年に新人王を獲得し、強打の外野手として名を馳せました。

続いてメジャーデビューを果たしたギャレット・アンダーソンも、正確なバッティングと堅実な守備でチームの顔となります。

彼らの活躍は、長らく低迷していたチームに再び活力を与えました。

 

歓喜の瞬間:2002年ワールドシリーズ制覇

 

2000年代に入り、マイク・ソーシア監督が就任すると、エンゼルスは新たな黄金時代を迎えます。

特に印象的なのが、2002年のシーズンです。

 

 

地区優勝は逃したものの、ワイルドカードでプレーオフに進出したチームは、ポストシーズンで躍進を遂げます。

このチームは、後に「ストライク・フォース」と呼ばれる強固なブルペン陣と、チーム全体での堅実な守備、そして勝負強い打線が特徴でした。

主軸には、本塁打王にも輝いたスラッガーのトロイ・グロース、攻守にわたって貢献したギャレット・アンダーソン、そしてベテランの技巧派二塁手アダム・ケネディらがいました。

 

 

また、クローザーのフランシスコ・ロドリゲスが驚異的な活躍を見せ、チームは勢いに乗ります。

サンフランシスコ・ジャイアンツとのワールドシリーズでは、最後までもつれる激戦の末、エンゼルスが創設42年目にして初の、そして唯一のワールドシリーズ制覇を成し遂げました。

この優勝は、長年のファンにとって待ちに待った歓喜の瞬間となりました。

 

現代の輝き:トラウトと大谷の時代

 

2010年代以降のエンゼルスは、球界を代表するスーパースターがチームを牽引する時代を迎えます。

まず、2011年にメジャーデビューを果たしたマイク・トラウトです。

 

 

彼はデビュー直後から、その圧倒的な走攻守の能力で「球界最高の選手」と称され、何度もMVPに輝きました。

彼の安定したハイレベルなプレーは、チームの精神的支柱となっています。

そして2018年には、日本から「二刀流」の天才、大谷翔平選手が加入し、球界の常識を覆す歴史的な活躍を見せます。

 

 

投手としては剛速球と多彩な変化球で打者を圧倒し、打者としては長打を連発するその姿は、世界中の野球ファンを魅了しました。

2021年には、満票でのMVPを獲得し、エンゼルスはトラウトと大谷という、MLB史上でも稀に見る強力なコンビを擁するチームとなりました。

大谷選手は2023年シーズン終了後にチームを離れることになりましたが、エンゼルスで打ち立てた数々の記録と、二刀流として成し遂げた偉業は、球団史に燦然と輝くものとして残っています。

 

所属した日本人選手たち

 

エンゼルスは日本人選手との縁も深く、多くの選手がプレーしてきました。

  • 長谷川 滋利(投手、1997年 – 2001年):主にリリーフとして活躍し、2002年のワールドシリーズ制覇には貢献できませんでしたが、チームのブルペンを支えました。
  • 松井 秀喜(外野手/指名打者、2010年):打者としてチームに貢献しました。
  • 高橋 尚成(投手、2011年 – 2012年):中継ぎとして登板しました。
  • 田澤 純一(投手、2018年):リリーフとしてプレーしました。
  • 大谷 翔平(投打、2018年 – 2023年):チーム史上最も大きなインパクトを与えた選手の一人です。
  • 菊池 雄星(投手、2025年 -):直近では、新たな日本人選手として加入しました。

 

 

 

 

彼らの活躍は、エンゼルスの歴史に日本とカリフォルニアを結ぶ確かな足跡を残しています。

 

まとめ

 

ロサンゼルス・エンゼルスは、創設者ジーン・オートリー氏の夢とともに歩み続けてきました。

ノーラン・ライアン、ロッド・カルー、マイク・トラウト、そして大谷翔平といった、時代を超えたスーパースターたちが集い、その才能を輝かせてきた球団です。

ワールドシリーズ制覇は一度きりですが、その歴史は常に話題性に富み、多くのファンに愛され続けています。

今後も「天使たち」が、更なる栄光を目指して戦い続ける姿に期待が集まります。

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