アスレチックスの歴史と主な所属選手

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メジャーリーグベースボール(MLB)のアメリカンリーグ西地区に所属するアスレチックスは、1901年のアメリカンリーグ発足時からその歴史を刻む古豪球団です。

フィラデルフィア、カンザスシティ、そして現在のオークランドへと本拠地を移しながら、幾多の栄光と変遷を経験してきました。

本記事では、その波乱に富んだ歴史と、球団を彩ってきた主要な選手たちをご紹介します。

 

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黎明期:フィラデルフィア・アスレチックスの黄金時代

 

アスレチックスの歴史は、1901年にフィラデルフィアで始まりました。

この初期の黄金時代を築いたのは、「コニー・マック」ことコンスタント・アラウス・マック監督です。

彼は1901年から1950年までという驚異的な長期間にわたり監督を務め、オーナーも兼任しました。

マック監督の指揮のもと、アスレチックスはアメリカンリーグの強豪として君臨します。

1910年代初頭と1920年代後半から1930年代初頭にかけて、2度の黄金期を迎えました。

特に1929年から1931年にかけては、リーグ3連覇、ワールドシリーズ2連覇を達成しています。

この時代の中心選手には、伝説的なスラッガーであるジミー・フォックスや、左腕の速球王レフティ・グローブ、そして偉大な二塁手として知られるエディ・コリンズらがいました。

また、内野手として活躍し、後にアメリカ野球殿堂入りを果たしたアル・シモンズもこの時期のスター選手です。

彼らはコニー・マック監督のもとでチームの黄金時代を支えました。

 

雌伏の時代:カンザスシティ時代と低迷期

 

1930年代半ば以降、世界恐慌の影響などもありチームは低迷期を迎えます。

財政難から主力を放出せざるを得なくなり、長らく優勝から遠ざかることとなります。

1955年には本拠地をミズーリ州カンザスシティに移転し、「カンザスシティ・アスレチックス」となりますが、この時代も低迷が続きました。

 

華麗なる革命:オークランドでの三連覇(1970年代)

 

1968年、アスレチックスはカリフォルニア州オークランドに本拠地を移し、「オークランド・アスレチックス」として新たなスタートを切ります。

そして1970年代初頭に、球団史上3度目となる華々しい黄金期を迎えます。

この時期のチームは、オーナーのチャーリー・O・フィンリー氏による個性的なチーム運営と、長髪やヒゲを蓄えた野性的な選手たちが集まったことから、「マスターシュ・ギャング(ひげのギャング)」とも呼ばれました。

彼らは、1972年から1974年にかけてワールドシリーズ3連覇という偉業を達成しました。

 

 

このチームの主軸となったのが、後に「ミスター・オクトーバー」と呼ばれる強打の外野手レジー・ジャクソンです。

彼はチームの永久欠番「9」にもなっています。

 

 

また、サイドスローから繰り出す多彩な変化球で打者を翻弄したエース投手キャットフィッシュ・ハンター(永久欠番「27」)、トレードマークの長いひげを持つリリーフエースのローリー・フィンガーズ(永久欠番「34」)といった、個性豊かな名投手たちが活躍しました。

さらに、遊撃手として攻守にわたって貢献したバート・キャンパネリスも、このチームのリードオフマンとして欠かせない存在でした。

 

強打の時代:バッシュ・ブラザーズとリッキーの躍動(1980年代後半~90年代初頭)

 

1980年代後半から1990年代初頭にかけては、トニー・ラルーサ監督のもと、再び強力なチームが形成されます。

この時代のチームの象徴は、本塁打を量産したマーク・マグワイアホセ・カンセコのコンビです。

彼らは「バッシュ・ブラザーズ」と呼ばれ、ファンを熱狂させました。

特にカンセコは1988年に史上初の「40本塁打・40盗塁」を達成し、リーグMVPにも輝いています。

 

 

そして、この時代を語る上で欠かせないのが、メジャー史上最高のリードオフマンであり盗塁王の常連であったリッキー・ヘンダーソン(永久欠番「24」)です。

史上最多の通算盗塁記録を持ち、走・攻・守すべてで異彩を放ちました。

 

 

投手陣では、エースとして活躍しチームの精神的支柱でもあったデーブ・スチュワート(永久欠番「34」)が、ワールドシリーズ制覇に大きく貢献しました。

この時期、アスレチックスは1988年から1990年にかけてリーグ3連覇を果たし、1989年にはワールドシリーズを制覇しています。

 

 

 

独自路線:マネーボールとリリーフエースの系譜(2000年代以降)

 

2000年代に入ると、アスレチックスは低予算ながらも緻密なデータ分析に基づいて選手を発掘・補強する、いわゆる「マネーボール」のチーム運営で注目を集めます。

この手法は、ゼネラルマネージャーのビリー・ビーン氏を中心に進められ、映画の題材にもなりました。

この「マネーボール」を体現した選手たちの中には、投手三本柱として活躍したティム・ハドソンマーク・マルダーバリー・ジートらがいます。

特にバリー・ジートはサイ・ヤング賞を受賞し、この時代のチームのエースとなりました。

また、その後、チームは抑え投手の育成に長け、デニス・エカーズリー(永久欠番「43」)のような球史に残るリリーフエースを輩出しています。

 

日本人選手たちの足跡

 

アスレチックスは、過去に複数の日本人選手がプレーしたことでも知られています。

  • 藪 恵壹(投手、2005年)
  • 岩村 明憲(内野手、2010年)
  • 松井 秀喜(外野手、2011年)
    • ベテランとしてチームに加入し、主に指名打者として活躍しました。
  • 岡島 秀樹(投手、2013年)
  • 藤浪 晋太郎(投手、2023年)
    • 先発、リリーフとしてシーズン途中に移籍するまでプレーしました。

 

 

これらの日本人選手たちは、それぞれが短い期間ながらもメジャーの舞台でアスレチックスの一員として奮闘しました。

 

まとめ

 

オークランド・アスレチックスは、フィラデルフィア時代から一貫して、個性豊かで実力のある選手たちによって支えられてきた球団です。

ワールドシリーズ9度の制覇という実績は、その歴史の重みを物語っています。

コニー・マック、レジー・ジャクソン、リッキー・ヘンダーソンといった球団の永久欠番選手たちは、今もアスレチックスの栄光の歴史を象徴する存在として、ファンの心に深く刻まれています。

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