サンフランシスコ・ジャイアンツの歴史と主な所属選手

 

サンフランシスコ・ジャイアンツは、メジャーリーグベースボール(MLB)のナショナルリーグ西地区に所属する歴史ある球団です。

1883年にニューヨーク・ゴサムズとして創設され、現在の名前になったのは1958年の西海岸移転後です。

この球団は、伝統と栄光の象徴として知られ、8回のワールドシリーズ制覇を誇ります。

ニューヨーク時代に5回、サンフランシスコ時代に3回の優勝を果たし、ファンを魅了し続けています。

本記事では、その豊かな歴史と、主な所属選手の功績を振り返ります。

創設とニューヨーク時代:黄金期の幕開け

ジャイアンツの歴史は、19世紀末のニューヨークに遡ります。

1883年、ニューヨーク・ゴサムズとしてナショナルリーグに加盟した球団は、すぐに強豪となりました。

1900年にニューヨーク・ジャイアンツと改称し、監督ジョン・マグロー(John McGraw)の下で黄金時代を迎えます。

マグロー監督は、1901年から1932年まで在籍し、17回のリーグ優勝を導きました。

この時代の象徴的な選手として、投手のクリスティ・マシューソン(Christy Mathewson)が挙げられます。

彼はキャリア通算373勝を挙げ、3回のワールドシリーズ優勝に貢献しました。

マシューソンは、洗練された投球術で知られ、殿堂入り選手です。

1905年、ジャイアンツはフィラデルフィア・アスレチックスを4勝1敗で破り、初のワールドシリーズ制覇を果たします。

以降、1921年・1922年、1933年に優勝し、合計5回のタイトルを獲得しました。

ポロ・グラウンズを本拠地に、ニューヨークの野球文化を形成したのです。

しかし、1950年代に入ると低迷が続き、1957年にニューヨークから移転が決定します。

理由は、観客動員の減少と、ブルックリン・ドジャースのロサンゼルス移転への対抗でした。

こうして、1958年にサンフランシスコ・ジャイアンツとして西海岸に上陸します。

サンフランシスコ移転と苦闘の時代:新たな挑戦

移転初年度の1958年、ジャイアンツはシールズ・スタジアムを本拠地に迎えますが、観客数は振るわず、苦しいスタートを切ります。

1960年にはキャンドルスティック・パークに移り、ここで有名な「ウィリー・メイズのキャッチ」が生まれます。

1954年のワールドシリーズ第1戦で、メイズがセンターオーバーから驚異的なダイビングキャッチを決め、伝説となりました。

メイズは、1951年から1972年までジャイアンツで活躍し、660本塁打、3380安打を記録。

守備、走塁、打撃の全てで一流の「セイ・ヘイ・キッド」として殿堂入りしています。

1960年代は、若手選手の台頭で希望が見えました。

投手のフアン・マリシャル(Juan Marichal)は、高キック投法で知られ、1960年代に191勝を挙げ、殿堂入り。

一塁手のオーランド・セペダ(Orlando Cepeda)は、1967年のナ・リーグMVPに輝き、打点王を獲得しました。

一塁手のウィリー・マッコビー(Willie McCovey)も、521本塁打を放ち、殿堂入り選手です。

彼の名にちなむマッコビー・コーブは、現在のオラクル・パークの名所です。

1962年、ジャイアンツはワールドシリーズに進出しましたが、ドジャースに僅差で敗れました。

移転後初の優勝は、1989年まで待たれます。

1989年のワールドシリーズでは、アスレチックスとのベイブリッジ・シリーズが話題となりましたが、4勝0敗で敗北。

地震が発生したのも記憶に残ります。

 

 

この頃の投手ゲイロード・ペリー(Gaylord Perry)は、ノーヒットノーランを2回達成し、殿堂入り。

ジャイアンツは、1980年代にウィル・クラーク(Will Clark)のようなスラッガーを擁し、安定した戦いを続けました。

2010年代の王朝:3度のワールドシリーズ制覇

ジャイアンツの真の黄金期は、2010年代に訪れます。

ブルース・ボチー(Bruce Bochy)監督の下、データ分析を活用した「マネーロール」戦略で、2010年、2012年、2014年にワールドシリーズを制覇。

5年で3度の優勝は、ナ・リーグ史上2例目の王朝です。

2010年は、テキサス・レンジャーズを4勝1敗で破り、移転後初のタイトル。

 

 

捕手のバスター・ポージー(Buster Posey)は、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、投手ティム・リンスカム(Tim Lincecum)はサイ・ヤング賞2回受賞のエースでした。

2012年は、デトロイト・タイガースを4勝0敗でスイープ。

 

 

2014年は、カンザスシティ・ロイヤルズを4勝3敗で下し、マディソン・バムガーナー(Madison Bumgarner)の圧巻の投球が光りました。

彼はワールドシリーズMVPに輝き、シリーズ通算21.2イニング無失点を記録しています。

この時代、外野手のハンター・ペンス(Hunter Pence)は、チームのムードメーカーとして活躍。

内野手のブランドン・クロフォード(Brandon Crawford)は、2014年のリーグチャンピオンシップシリーズで7安打の1試合記録を樹立しました。

3度の優勝は、ジャイアンツを現代の強豪に押し上げました。

主な所属選手とその功績

ジャイアンツの歴史を語る上で欠かせないのが、殿堂入り選手たちです。

ウィリー・メイズは、打率.302、660本塁打でオールラウンドの天才。

フアン・マリシャルは、238勝、殿堂入り投手です。

ウィリー・マッコビーは、469本塁打をジャイアンツで放ち、パワーヒッターの象徴。

オーランド・セペダは、打率.297、377本塁打で、1967年MVP。

ゲイロード・ペリーは、314勝のレジェンドです。

現代では、バリー・ボンズ(Barry Bonds)が際立ちます。

1993年から2007年まで在籍し、756本塁打のMLB記録を樹立。

 

 

4度のMVPを獲得し、2002年のワールドシリーズ進出を牽引しました。

ボンズの功績は、ステロイド疑惑の影を落としますが、打撃の天才性は揺るぎません。

ジェフ・ケント(Jeff Kent)は、二塁手として最多本塁打記録を保持し、2000年MVP。2010年代の英雄たちも忘れられません。

ティム・リンスカムは、2008・2009年のサイ・ヤング賞受賞で、速球と変化球の妙技を発揮。

 

 

マディソン・バムガーナーは、2014年のポストシーズンで神がかり的な活躍。

バスター・ポージーは、2012年MVPで、守備の名手です。

ブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)は、クローザーとして2010年の優勝を締めくくりました。

最近では、2025年現在も、若手選手の育成が進んでいますが、歴史の重みはこれらのレジェンドに支えられています。

ジャイアンツは、11の背番号を永久欠番とし、ウィル・クラークの22番が2022年に追加されました。

最後に

サンフランシスコ・ジャイアンツは、ニューヨークの伝統を西海岸に持ち込み、独自のアイデンティティを築きました。

オラクル・パーク(2000年開場)は、美しい湾岸ビューで人気を博し、観客動員を伸ばしています。

ドジャースとのライバル関係は、MLBの名物です。

2024年シーズン終了時点で、通算勝率.535と安定しています。

これらの歴史と選手たちは、ジャイアンツを単なる球団ではなく、文化の象徴にしています。

ファンは、オレンジとブラックのユニフォームに、誇りを持って応援します。

未来も、さらなる栄光が期待されます。

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