横浜高校の織田翔希投手(3年)が10月15日、横浜市の同校で進路に関する記者会見を開き、高校卒業後にMLBへ挑戦する意向を表明しました。
NPBのドラフト会議まであと1週間というタイミングでした。
会見で語ったこと
織田投手は冒頭で、各球団にも同じ内容を伝えたと断ったうえで、最終目標である世界一のピッチャーになるため、「アメリカの地で挑戦することに決めました」と話しました。
このタイミングで渡米する理由として挙げたのは言葉の壁です。
若いうちから生の言葉に触れておけば、メジャーに上がったときに自分で意思疎通ができる、という考えを説明しています。NPBへの思いについても触れました。
幼いころはNPBに夢を持っていて、NPBを通ったほうが得られるものが多いかもしれないとも認めています。
それでも、世界でプレーしたいという気持ちが一番の後押しになったようです。
悩んだ末の決断だったと本人は振り返っています。進む先については、マイナーリーグや大学も考えているようにもとれました。
織田投手は11日からNPB球団との面談を始め、この日までに進路を考え抜いたといいます。
12球団と面談を済ませたうえでの渡米決断と伝えられています。
3年間の記録
福岡県北九州市出身で、足立中の軟式野球部では3年時に全国大会に出場し、中学生で最速143キロを記録しました。横浜では1年春からベンチ入りしています。
名前が全国に広まったのは1年秋です。明治神宮大会では3試合で21回3分の1を投げて防御率0.84。横浜の大会初優勝に貢献しました。
2年春のセンバツでは全5試合に先発して25回、防御率2.16。チームは19年ぶり4度目の優勝を果たし、同年夏も甲子園で8強に入っています。
3年春のセンバツは初戦で終わりました。神村学園に0対2で敗れ、織田投手は8回二死まで2失点と粘ったものの、最速は148キロにとどまりました。
夏は巻き返しています。神奈川大会準決勝の慶応戦で自己最速の157キロを計測し、決勝の桐光学園戦は9回を6安打1失点で完投。
甲子園では全5試合に登板して27回で34三振を奪い、防御率は2.00でした。
2回戦の日南学園戦で出した156キロは甲子園最速タイの記録です。
準々決勝の花巻東戦は9回7安打10奪三振で完封。
準決勝の智弁和歌山戦は3回途中4失点で降板し、チームはベスト4で大会を終えました。
9月には侍ジャパンU-18代表としてアジア選手権に出場し、スーパーラウンドの台湾戦に先発して6回3安打7奪三振1失点。勝利に貢献しました。
恩師の言葉
会見には村田浩明監督(40)も同席しました。
監督は教え子の意思を尊重する姿勢を示し、決断した進路を全力でどこまでも応援したいと話しています。
国内外の球団が視察を重ねるなか、織田投手は甲子園やU-18アジア選手権が終わっても結論を明かさず、高校最後の公式戦となった国民スポーツ大会を経てこの日の表明に至りました。















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