シンシナティ・レッズの歴史と主な所属選手

 

シンシナティ・レッズは、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティを本拠地とするメジャーリーグベースボールのナショナルリーグ所属チームです。

MLB史上最も古いプロ野球フランチャイズとして知られ、1869年の創設以来、栄光と苦難の歴史を刻んできました。

この記事では、レッズの歴史を時系列で概観し、主な所属選手を紹介します。

チームの象徴は「ビッグ・レッド・マシーン」と呼ばれる1970年代の強力打線で、5回のワールドシリーズ制覇を達成しています。

創設期:プロ野球の草分けとして(1869年~1890年代)

レッズの歴史は、1869年に遡ります。

この年、シンシナティ・レッドストッキングスがアメリカ初のプロフェッショナル野球チームとして誕生しました。

ハリー・ライトを監督に据え、各地を巡業しながら全57試合で勝利を重ね、プロ野球の基盤を築きました。

しかし、1870年に選手の多くがボストンに移籍し、チームは一時解散状態となります。

1876年のナショナルリーグ(NL)創設時に新たにシンシナティ・レッズが加わり、1882年にはアメリカン・アソシエーション(AA)で現在のフランチャイズとして再建されました。

同年、AAで初優勝を飾りますが、1880年代後半に規則違反でリーグを追われ、1890年にNLへ移籍します。

この頃の主な選手として、投手トニー・ミュレーンが挙げられます。

彼は1880年代に通算284勝を挙げ、レッズの投手陣を支えました。

初期の黄金期と苦闘の時代(1900年代~1950年代)

1900年代初頭、レッズは安定した成績を残しますが、ワールドシリーズ初出場は1919年です。

この年、NL優勝を果たし、シカゴ・ホワイトソックスとのワールドシリーズで勝利します。

 

 

しかし、後年にホワイトソックスの八百長事件(ブラックソックス事件)が発覚し、レッズの栄冠に影を落としました。

1935年にはクロスリー・フィールドでMLB初のナイトゲームを開催し、革新的な一歩を踏み出します。

1938年、ジョニー・ヴァンダー・ミーアが史上唯一の連続ノーヒットノーランを達成し、チームの象徴となります。

1939年と1940年にはリーグ連覇を果たし、1940年のワールドシリーズでデトロイト・タイガースを破り2度目の世界一に輝きます。

 

 

この時代の投手陣は強力で、バッキー・ウォルターズが1939年のMVPを獲得し、2.93の防御率で312試合に登板しました。

しかし、1940年代以降は低迷期に入り、1953年にはマッカーシズムの影響でチーム名を「レッドレッグス」に変更します。

1956年、外野手フランク・ロビンソンがデビューし、新人王を受賞。

1961年のリーグ優勝に貢献しますが、ワールドシリーズでニューヨーク・ヤンキースに敗れます。

ビッグ・レッド・マシーンの時代:1970年代の絶頂(1960年代~1970年代)

1960年代後半から1970年代は、レッズの黄金時代です。

1963年にピート・ローズがデビューし、新人王に輝きます。

1967年にはキャッチャーのジョニー・ベンチが新人王となり、チームの基盤を固めました。

1969年のNL西地区制覇を機に、1970年からスパーキー・アンダーソン監督が就任。

リバーフロント・スタジアムが開場し、1970年に地区優勝を果たしますが、ワールドシリーズでボルチモア・オリオールズに惜敗します。

この時期のレッズは「ビッグ・レッド・マシーン」と呼ばれ、強力な打線でMLBを席巻します。

1972年と1973年に地区連覇、1975年と1976年にはワールドシリーズ連覇を達成。

1975年はボストン・レッドソックスを、1976年はヤンキースを破り、ポストシーズン7連勝の快挙を成し遂げます。

 

 

打線の中心は「グレート・エイト」と称される面々で、ベンチ、ローズ、ジョー・モーガン、トニー・ペレス、デイブ・コンペシオン、ジョージ・フォスター、ケン・グリフィー・シニア、セサール・ゲロニモです。

モーガンは1975年と1976年に連続MVPを獲得し、打率.327、盗塁64でチームを牽引しました。

1990年の奇跡と現代の変遷(1980年代~現在)

1980年代は低迷が続き、1984年にローズが選手兼監督に就任しますが、大きな成果は上がりません。

1990年、ルー・ピネラ監督の下で地区優勝し、リーグチャンピオンシップシリーズ(NLCS)でピッツバーグ・パイレーツを4連勝、オークランド・アスレチックスをワールドシリーズで4連勝とスイープ。

5度目の世界一を飾ります。

 

 

この時の主砲はエリック・デービスで、俊足強打の外野手として活躍しました。

2000年代に入り、ケン・グリフィー・ジュニアが2000年から加入。

地元出身の彼は8年半で210本塁打を放ち、2000年の40本塁打でカムバック賞を受賞します。

バリー・ラーキンはショートストップとして1995年のMVPを獲得し、チームの守備を支えました。

2010年代にはジョイ・ボットが外野手として活躍し、2013年にMVPを受賞。

通算1,800安打以上を記録しています。

2025年現在、レッズはNL中央地区で中位を維持しています。

グレート・アメリカン・ボールパークを本拠地に、若手選手の育成を進めています。

2024年シーズンは81勝81敗でポストシーズン進出を逃しましたが、2025年はエリエリー・デラクルーズの活躍が期待されます。

主な所属選手

レッズの殿堂入り選手は多く、以下に主なものを挙げます。

ピート・ローズ(内野手、1963-1986)

通算4,256安打のMLB記録保持者。

19年間で2,722試合出場、MVP1回、新人王。チームの顔としてビッグ・レッド・マシーンを支えました。

ジョニー・ベンチ(捕手、1967-1983)

史上最高の捕手の一人。

通算389本塁打、MVP2回、ルーキー・オブ・ザ・イヤー。

守備と打撃の両面で貢献し、背番号5が永久欠番です。

ジョー・モーガン(二塁手、1972-1979)

ビッグ・レッド・マシーンの心臓部。

連続MVP2回、盗塁王、通算1,133打点。殿堂入り選手です。

トニー・ペレス(一塁手、1964-1976, 1984-1986)

通算287本塁打、1,272打点。

ビッグ・レッド・マシーンの主砲で、1998年殿堂入り。

フランク・ロビンソン(外野手、1956-1965)

通算586本塁打の殿堂入り選手。

レッズで新人王、1961年優勝に貢献。

後にMVPと三冠王。

バリー・ラーキン(遊撃手、1986-2004)

通算2,180安打、MVP1回、ゴールデングラブ10回。

チームの守備の要で、背番号11永久欠番。

 

 

ケン・グリフィー・ジュニア(外野手、2000-2008)

通算630本塁打の殿堂入り選手。

レッズで210本塁打、ファンに愛されました。

ジョージ・フォスター(外野手、1971-1981)

1977年MVP、通算244本塁打。

ビッグ・レッド・マシーンの左翼手。

エリック・デービス(外野手、1984-1991, 1996)

俊足強打で1990年世界一に貢献。

通算282本塁打、盗塁408。

ジョイ・ボット(外野手、2008-2022)

2013年MVP、通算1,842安打。現代の代表選手です。

 

 

これらの選手たちは、レッズの伝統を体現しています。

投手ではジョニー・ヴァンダー・ミーアやバッキー・ウォルターズも欠かせません。

最後に

シンシナティ・レッズは、プロ野球の歴史を象徴するチームです。

創設から150年以上、ファンに喜びを提供し続けています。

将来的に新たなスターが生まれ、再び栄光を掴むことを期待します。

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