ピッツバーグ・パイレーツは、メジャーリーグベースボール(MLB)のナショナルリーグ中地区に所属する伝統あるプロ野球チームです。
本拠地はペンシルベニア州ピッツバーグのPNCパークで、地元ファンからは「Bucs(バックス)」の愛称で親しまれます。
1882年の創設以来、数々の栄光と試練を経験し、MLBの歴史に深く刻まれています。
この記事では、パイレーツの歴史を詳細に振り返り、チームを象徴する主な選手たちを紹介します。
創設と初期の歴史
パイレーツの歴史は、1882年にアメリカン・アソシエーションの「アレゲニー・ベースボール・クラブ」として始まりました。
このチームは、ピッツバーグの対岸、アレゲニー市を拠点とし、「ピッツバーグ・アレゲニーズ」と呼ばれました。
1887年にナショナルリーグへ移籍し、正式に現在のリーグに参入します。
1891年、他球団から選手を引き抜いた行為が「海賊行為」と批判され、これを機にオーナーのウィリアム・A・ニミックがチーム名を「ピッツバーグ・パイレーツ」に改称しました。
このエピソードは、チームの反骨精神を象徴する逸話として語り継がれています。
黄金期の幕開け:1900年代初頭
1900年代初頭、パイレーツは最初の黄金期を迎えます。
特に1901年から1903年にかけて、ナショナルリーグで3年連続優勝を達成しました。
この時期の中心選手は、ショートストップのホーナス・ワグナーです。
彼は通算打率.328、3,430安打を記録し、野球殿堂入り選手として知られます。
1909年には、ワールドシリーズでデトロイト・タイガースを破り、初のワールド制覇を果たしました。
このシリーズでは、ワグナーのリーダーシップと打撃が光り、チームの名を全米に轟かせました。
戦間期の浮沈:1920年代~1940年代
1920年代から1930年代にかけて、パイレーツは再び注目を集めます。
1925年のワールドシリーズでは、ワシントン・セネターズを破り、2度目の優勝を飾りました。
この時期、ニグロリーグのスター選手、クール・パパ・ベルやジョシュ・ギブスンらがピッツバーグで活躍しましたが、MLBの人種差別政策により、彼らはパイレーツの公式ロースターには入れませんでした。
1940年代は第二次世界大戦の影響で選手層が薄れ、低迷期に突入します。
戦後の1948年には、ラルフ・カイナーが本塁打王を獲得するなど、復活の兆しを見せましたが、安定した成功には至りませんでした。
クレメンテの時代:1950年代~1970年代
1950年代後半から、パイレーツは新たな黄金期を迎えます。
プエルトリコ出身のロベルト・クレメンテがチームの顔となり、卓越した守備と打撃でファンを魅了しました。
1960年のワールドシリーズでは、ニューヨーク・ヤンキースを劇的な逆転で破り、3度目の優勝を達成。
ゲーム7の9回裏、ビル・メイズの決勝打による勝利は、MLB史に残る名場面です。
1971年には、クレメンテがMVPに輝く活躍で、ボルチモア・オリオールズを下し、4度目のワールドシリーズ制覇を果たしました。
クレメンテは通算3,000安打を記録し、1972年の悲劇的な飛行機事故で亡くなるまで、チームの象徴であり続けました。
ウィリー・スティトルの輝き:1970年代後半
1970年代後半もパイレーツの強さは続きます。
特に1979年のワールドシリーズでは、ウィリー・スティトルが牽引し、オリオールズを再び破って5度目の優勝を飾りました。
スティトルは一塁手として通算3,000安打、400本塁打以上を記録し、殿堂入り選手となりました。
この時期、デイブ・パーカーやジム・リトルも活躍し、チームに活気をもたらしました。
パイレーツは「We Are Family」をスローガンに、団結力でファンを沸かせました。
長き低迷と再建:1990年代~2000年代
1980年代後半から1990年代初頭にかけて、パイレーツはバリー・ボンズの台頭で再び注目されます。
ボンズは1990年から1992年にかけて、チームをナ・リーグ東地区3連覇に導きましたが、ワールドシリーズ進出は叶いませんでした。
ボンズの退団後、チームは財政難に苦しみ、1993年から2012年まで20年連続で負け越しというMLBワースト記録を残します。
この低迷期は、ファンにとって辛抱の時期でしたが、若手育成に注力したことが後の復活に繋がります。
2010年代の復活と新たな挑戦
2010年代に入り、パイレーツは再建の成果を上げます。
2013年から2015年にかけて、アンドリュー・マカッチェンを中心に3年連続でプレーオフ進出を果たしました。
マカッチェンは外野手として通算300本塁打以上を記録し、2013年にはナ・リーグMVPを受賞。
しかし、ディビジョンシリーズでの敗退が続き、ワールドシリーズ復帰は叶いませんでした。
2016年以降は再び低迷しますが、2020年代に入り、ポール・スキーンズやヘンリー・デイビスら若手が台頭しています。
2025年現在、ナ・リーグ中地区で中位を維持し、ポストシーズン復帰を目指しています。
主な所属選手
パイレーツの歴史を彩る選手たちを紹介します。
まず、ロベルト・クレメンテ(1955-1972)。
右翼手として3,000安打を達成し、守備の名手として12度のゴールドグラブ賞を受賞。
慈善活動も評価され、彼の名を冠した賞がMLBに設けられています。
ホーナス・ワグナー(1900-1917)は、ショートストップとして5度の打率首位を獲得し、野球の殿堂入り選手です。
ニグロリーグ時代には、ジョシュ・ギブスン(1930-1946頃)が活躍。
通算800本塁打以上を記録した伝説の強打者です。
ウィリー・スティトル(1971-1986)は、1979年のワールドシリーズMVPで、通算3,000安打を達成。
ビル・メイズ(1947-1952)は1960年の決勝打で知られ、ウィリー・メイズの叔父としても有名です。
日本人選手では、桑田真澄(2001)がパイレーツで登板。
巨人軍のエースとして知られ、MLBではリリーフとして活躍しました。
髙橋尚成(2008)もリリーフで貢献。
近年では、アンドリュー・マカッチェン(2009-2021、2023-現在)がチームの精神的支柱です。
2024年ドラフト全体1位のポール・スキーンズ(2024-現在)は、ルーキーイヤーに10勝を挙げ、サイ・ヤング賞候補として注目されています。
パイレーツの未来
パイレーツは、2025年現在、若手選手の成長に期待を寄せています。
ポール・スキーンズやケビン・ミッチェルらを中心に、チームは再び競争力を取り戻そうとしています。
PNCパークの美しいスタジアムと熱心なファンに支えられ、パイレーツは新たな黄金期を目指します。
歴史ある「海賊」の名に恥じない戦いを、今後も見せてくれるでしょう。
コメント