高校時代は無名だったのにプロで大成した選手10人

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日本のプロ野球(NPB)の世界には、高校時代に「怪物」と呼ばれ華々しくプロ入りする選手がいる一方で、当時は全くの無名、あるいは控え選手だったにもかかわらず、プロ入り後に凄まじい努力でスターダムを駆け上がった選手たちがいます。

彼らの成功は、才能の開花時期が人それぞれであること、そして「あきらめない心」がいかに重要かを私たちに教えてくれます。

本記事では、高校時代は無名だったものの、後に日本を代表するレジェンドとなった10人の選手をご紹介します。

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黒田博樹

上宮高(大阪) 日米通算203勝を挙げたレジェンド、黒田博樹投手。

しかし高校時代は、大阪の強豪・上宮高校で3番手、あるいは4番手の控え投手でした。

エースは別に存在し、黒田選手自身は「公式戦で投げた記憶がほとんどない」と語るほど目立たない存在でした。

大学(専修大)で才能が開花し、広島東洋カープへ入団。「雑草魂」の原点は、この不遇の高校時代にありました。

 

 

千賀滉大

蒲郡高(愛知) 現在はメジャーリーグのメッツで活躍する千賀投手ですが、愛知県立の蒲郡高校時代は、全国的には全くの無名でした。

彼を見出したのは、地元のスポーツ用品店の店主がソフトバンクのスカウトに「いい投手がいる」と紹介したことがきっかけ。

2010年の育成ドラフト4位でプロ入りした当時は、球速も130キロ台が中心でした。

そこから「お化けフォーク」を習得し、育成出身初のノーヒットノーランを達成するまでに成長しました。

 

 

上原浩治

東海大仰星高(大阪) 「雑草魂」を座右の銘とする上原投手も、高校時代は控え投手でした。

当時のエースは後に建山義紀投手(元日本ハムなど)であり、上原投手は外野手としてベンチ入りすることもありました。

高校卒業後は1年間の浪人生活を経て大阪体育大学へ進学し、そこで球速を飛躍的に伸ばして巨人の逆指名を受けるまでになったのです。

 

 

柳田悠岐

広島商高(広島) 「ギータ」の愛称で親しまれる強打者も、高校時代は細身の選手でした。

名門・広島商業に在籍していましたが、入学時は身長が170cmに満たず、打順も下位。高校通算本塁打も11本と、現在の規格外のパワーからは想像もつかない数字です。

広島経済大学に進学後、食事制限とトレーニングで体格が劇的に変化し、現在のフルスイングが完成しました。

 

 

甲斐拓也

楊志館高(大分) 「甲斐キャノン」で知られる日本代表の正捕手も、育成ドラフトからの這い上がり組です。

大分県の楊志館高校時代は、甲子園出場経験もなく、ドラフト候補として名前が挙がることもほとんどありませんでした。

2010年育成ドラフト6位という、指名選手の中でも最も後ろに近い順位からのスタートでしたが、持ち前の強肩を武器に不動の地位を築きました。

 

 

山本昌広

日大藤沢高(神奈川) 50歳まで現役を続けたレジェンドサウスポー。

1983年のドラフト5位で中日に入団した際、学校側からは「プロは無理だから就職か進学を」と勧められたという逸話があります。

高校時代も県大会準々決勝どまりで、球速も130キロに届かないほどでした。

プロ入り後にアメリカへの野球留学でスクリューボールを習得したことが、運命を大きく変えました。

 

 

中村紀洋

渋谷高(大阪) 豪快なバットフリップが象徴的なホームラン王。

強豪校がひしめく大阪にあって、公立の渋谷高校という無名の存在でした。

高校3年時に甲子園出場を果たしましたが、当時は投手としての注目がメイン。

近鉄バファローズへドラフト4位で入団し、野手として才能が開花。

「公立の星」としてプロの頂点まで登り詰めました。

 

 

新井貴浩

広島工業高(広島) 現広島東洋カープ監督の新井氏は、高校時代は甲子園出場もなく、体格こそ大きかったものの技術的には「粗削り」の一言でした。

駒澤大学へ進学した際も、当初はレギュラー争いに加われるレベルではなく、恩師から「お前はプロなんて絶対に無理だ」と言われ続けたそうです。

しかし、誰よりもバットを振る練習量で、名球会入りを果たすまでの打者になりました。

 

 

金本知憲

広陵高(広島) 「鉄人」金本知憲氏も、高校時代は意外にも控え選手でした。

名門・広陵高校に在籍していましたが、ベンチ入りがやっとの状況。

高校卒業後に1年間の浪人を経て東北福祉大学へ進学し、そこで肉体改造と打撃強化に成功。

ドラフト4位でプロ入り後は、トリプルスリーを達成するなど球史に残る活躍を見せました。

 

 

イチロー(鈴木一朗)

愛工大名電高(愛知) 日本が世界に誇る安打製造機ですが、高校時代は決して「超高校級」の注目株ではありませんでした。

1991年のドラフトでは、オリックス・ブルーウェーブから4位という下位指名でした。

当時のスカウトも、彼の細身の体格から「プロで通用するのか」という疑念を抱いていましたが、打撃センスを見抜いた一部の熱意によってプロの門を叩きました。

 

 

まとめ:スカウトの目を超えた「努力」の力

今回紹介した10人の選手に共通しているのは、高校時代の評価に甘んじることなく、プロ入り後、あるいは大学・社会人を経てから自分の武器を磨き続けた点です。

ドラフト指名順位や高校時代の知名度は、プロの世界ではあくまで「スタート地点」に過ぎません。

千賀投手や甲斐選手のような育成出身者の成功は、現在のプロ野球界において、スカウトの目をすり抜けた才能がまだまだ眠っていることを証明しています。

「今は無名でも、いつか輝ける」

彼らの足跡は、夢を追う全ての球児や、現状に悩む多くの人々にとって、最高の応援歌と言えるのではないでしょうか。

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FinePlay

高校野球、プロ野球選手、プロ野球チーム、練習方法を中心に情報発信するサイト運営者。 長年野球を見続けてきた経験をもとに、選手やチームの魅力、練習の考え方を分かりやすく伝えています。

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