読売ジャイアンツの扇の要として、長年「世界の小林」とも称される卓越した守備力でファンを魅了し続けているのが、小林誠司(こばやし・せいじ)選手です。
名門・巨人の正捕手という重圧のかかるポジションにおいて、歴代屈指と言われる強肩「小林キャノン」を武器に、数多くの投手を導いてきました。
本記事では、アマチュア時代のエリート街道から、プロ入り後の栄光と苦悩、そしてベテランとしてチームを支える現在の立ち位置まで、そのキャリアを詳述します。
エリート街道を歩んだアマチュア時代とドラフト1位での入団
大阪府堺市出身の小林選手は、広島の名門・広陵高校に進学し、捕手として甲子園に出場しました。
その後、同志社大学、社会人野球の日本生命へと進み、どのカテゴリーでも常にトップレベルの捕手として高い評価を受けてきました。
2013年のドラフト会議において、読売ジャイアンツから1位指名を受け入団。
当時の巨人には、絶対的な正捕手であり主砲でもあった阿部慎之助選手が君臨していましたが、球団は次代を担う守備の要として小林選手に白羽の矢を立てました。
背番号「22」を託されたその瞬間から、彼のプロとしての挑戦が始まりました。
「小林キャノン」の衝撃と守備のスペシャリストとしての確立
プロ入り後、小林選手が真っ先にプロの世界を驚かせたのは、その圧倒的な地肩の強さでした。
二塁送球の速さと正確さは「小林キャノン」と称され、盗塁を企てる走者を次々と刺していく姿は、相手チームにとって最大の脅威となりました。
2016年から2019年にかけて、4年連続でセ・リーグの盗塁阻止率1位を記録。
2017年には自身初となるゴールデングラブ賞を受賞しました。
彼のプレースタイルは、単に肩が強いだけでなく、投手の良さを引き出す粘り強いリードや、ワンバウンドの投球を体で止める献身的なブロッキングにも特徴があります。
特にエース・菅野智之投手との「スガコバ」コンビは、球界屈指の信頼関係を誇り、巨人の黄金カードとしてファンに親しまれました。
2017年WBC:世界を驚かせた「打てる小林」
小林選手のキャリアにおいて、最も輝かしい瞬間の一つが2017年の第4回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)です。
日本代表「侍ジャパン」の正捕手として全試合に出場した彼は、守備での貢献はもちろん、課題とされていた打撃で驚異的な勝負強さを発揮しました。
大会通じて打率.450というチーム最高打率を記録し、本塁打も放つなど、下位打線ながら「恐怖の打者」として世界中の野球ファンを驚かせました。
この大会での活躍により、彼は国内だけでなく「世界の小林」としての知名度を確立することとなりました。
打撃の苦悩と正捕手争いの中での葛藤
一方で、シーズンを通した打撃面では、長らく低い打率に苦しんできました。
プロ野球界が「打てる捕手」を求める傾向を強める中、大城卓三選手や岸田行倫選手といった攻撃力に定評のある後輩たちの躍進により、出場機会が減少する時期もありました。
2020年から2021年にかけては、度重なる怪我にも見舞われました。
指の骨折や足の負傷などにより、一軍の舞台から遠ざかる日々が続きましたが、その間も彼は決して腐ることなく、裏方として若手投手の育成やベンチでの声出しに心血を注ぎました。
スタッツには表れない「チームへの貢献」こそが、彼が長年巨人に必要とされ続ける最大の理由です。
信頼の証としての存在
2026年現在、36歳となった小林選手は、阿部慎之助監督のもとで「ベテランの鑑」として極めて重要な役割を担っています。
出場機会が限定的であっても、試合終盤の守備固めや、エース級投手の先発時に見せる「勝てる捕手」としての存在感は依然として健在です。
若手投手たちにとって、小林選手がマスクを被っているという安心感は、何物にも代えがたい精神的な支えとなっています。
また、ファンの間でも彼の人気は根強く、試合前のウォーミングアップから大きな声援が飛ぶ姿は、彼が単なる選手以上の「巨人の象徴」の一人であることを物語っています。
まとめ:記録よりも「記憶と信頼」に残る捕手
小林誠司選手のキャリアは、華々しいドラフト1位の期待から始まり、世界大会での大躍進、そしてリーグ屈指の守備力による貢献と、非常に濃密なものでした。
打撃という課題に直面しながらも、それを補って余りある守備の知性と情熱で、日本の野球界に確固たる足跡を刻んできました。
2026年、選手としての円熟期を迎えている彼は、自身の記録以上に「巨人の勝利」のために全てを捧げ続けています。
その確かなリードと、今なお衰えぬ強肩は、これからも数多くのドラマを後楽園(東京ドーム)の地で生み出していくことでしょう。











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