横浜DeNAベイスターズの象徴であり、日本を代表するスラッガーとしてその名を轟かせてきたのが筒香嘉智(つつごう・よしとも)選手です。
豪快な放物線を描く打撃スタイルと、チームを鼓舞する卓越したリーダーシップを兼ね備えた彼は、メジャーリーグでの過酷な挑戦を経て、再び横浜の地で「ハマの主砲」としての誇りを取り戻しました。
本記事では、横浜高校時代の栄光から米球界での苦闘、そして2024年の日本一達成に至るまでの彼の輝かしい足跡を紐解きます。
横浜高校の怪物から「日本の4番」への飛躍
筒香選手のキャリアは、名門・横浜高校での華々しい活躍から幕を開けました。
高校通算69本塁打を記録し、圧倒的な長打力で全国の注目を集めた彼は、2009年のドラフト1位で地元・横浜ベイスターズに入団します。
プロ入り後も着実に成長を続け、2014年には打率3割・20本塁打を達成して主軸へと定着しました。
彼のキャリアにおける一つの頂点は、2016年シーズンに訪れます。
44本塁打、110打点を記録し、本塁打王と打点王の二冠を獲得。
当時24歳という若さで、名実ともに日本プロ野球界を代表する4番打者となりました。
その後、日本代表「侍ジャパン」でも不動の主砲を務め、2017年のWBCでは世界を相手にその力を見せつけました。
メジャーリーグへの挑戦と、逆境で見せた不屈の精神
2019年オフ、筒香選手はポスティングシステムを利用してタンパベイ・レイズへの移籍を果たし、長年の夢であったメジャーリーグ(MLB)へと渡りました。
しかし、最高峰の舞台では、MLB特有の高速回転する速球への対応に苦しむ日々が続きます。
レイズからドジャース、パイレーツと渡り歩き、さらにその後はマイナーリーグや独立リーグでもプレーを続けました。
異国の地での数年間は、成績の面では決して順風満帆とは言えませんでした。
しかし、彼は決して諦めることなく、自分自身の打撃フォームを極限まで磨き続けました。
そのストイックな姿勢は、たとえ出場機会が限られても周囲の選手から深い尊敬を集め、野球人としての厚みを増す貴重な財産となったのです。
2024年の衝撃的な復帰と、悲願の日本一達成
2024年4月、筒香選手は5年ぶりに古巣である横浜DeNAベイスターズへの復帰を決断しました。
背番号「25」が再び横浜スタジアムに現れた5月6日の復帰初戦、彼は衝撃的な逆転3ラン本塁打を放ち、ファンを熱狂の渦に巻き込みました。
シーズン中は怪我での離脱も経験しましたが、彼の存在は若手の多いチームに精神的な安定感をもたらしました。
その真価が発揮されたのが、同年秋の日本シリーズです。
ソフトバンクを相手に、彼はベンチでの声掛けやミーティングを通じてチームの意識を改革。
自身のバットでも第6戦で貴重な一発を放つなど、26年ぶりとなる日本一達成に多大なる貢献を果たしました。
横浜の夜空に掲げられたトロフィーは、彼が帰還したことの意義を象徴する出来事となりました。
ベテランとしての矜持と現在の立ち位置
2025年シーズン、筒香選手は打撃不振による二軍降格を経験しながらも、後半戦に驚異的な巻き返しを見せました。
8月以降の33試合で14本塁打を量産した爆発力は、ファンに「ハマの主砲」の健在を強く印象付けました。
最終的に20本塁打をマークし、勝負どころでの決定力はリーグ屈指であることを改めて証明したのです。
2026年現在、34歳となった彼は、宜野湾キャンプで佐野恵太選手らと共に若手を牽引するリーダーとして調整を続けています。
かつての「若き主砲」は今、経験に基づいた冷静な洞察力と情熱を併せ持つ「チームの精神的支柱」へと進化しました。
自身の成績だけでなく、ベイスターズを常勝軍団へと変えるための挑戦は、今もなお続いています。
まとめ:進化を続ける「ハマの長官」
筒香嘉智選手のキャリアは、栄光と挫折、そしてそこからの再起を繰り返してきたドラマチックな道のりです。
日本での圧倒的な実績に甘んじることなく海を渡り、異国の地で苦しみながらも自分を見失わなかったからこそ、現在の深いリーダーシップが培われました。
2026年、彼が目指すのはチームのリーグ制覇、そしてさらなる高みです。
横浜の空高くに描かれる彼の放物線は、これからも多くの人々に夢と感動を与え続けるでしょう。
ベイスターズの背番号25が放つ輝きは、さらなる黄金時代の到来を予感させています。











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