創設と初期の成功
シカゴ・ホワイトソックスは、メジャーリーグベースボール(MLB)のアメリカンリーグ中地区に所属するプロ野球チームです。
本拠地はイリノイ州シカゴのギャランティード・レート・フィールドにあります。
チームの歴史は古く、1900年に創設され、1901年にアメリカンリーグのオリジナル8球団の一つとしてメジャーリーグに昇格しました。
当初は「シカゴ・ホワイトストッキングス」という名称でしたが、1904年に現在の「ホワイトソックス」に改称されました。
この名称は、選手が白い靴下を着用していたことに由来し、シカゴ・トリビューン紙が略称として使い始めたことで広まりました。
ホワイトソックスは創設間もない1901年にリーグ優勝を果たし、1906年にはワールドシリーズで同じシカゴを本拠地とするカブスを破り、初のワールドチャンピオンに輝きました。
このチームは「ヒットレス・ワンダーズ(打てない驚異)」と呼ばれ、強力な守備と投手力で勝利を重ねました。
1917年には再びワールドシリーズを制し、ニューヨーク・ジャイアンツを破って2度目の優勝を達成しました。
この時期のホワイトソックスは、エディ・コリンズやシューレス・ジョー・ジャクソンといったスター選手を擁し、リーグの強豪として名を馳せました。
ブラックソックス事件と低迷期
しかし、1919年のワールドシリーズは、ホワイトソックスの歴史に暗い影を落としました。
この年、チームはシンシナティ・レッズと対戦しましたが、八百長疑惑が浮上。
チームの低賃金政策に不満を抱いていた選手たちの一部が賭博師と結託し、試合を意図的に落としたとされました。
この「ブラックソックス事件」により、ジョー・ジャクソンやエディ・シーコットを含む8人の選手が永久追放となり、球団の評判は大きく傷つきました。
調査の結果、選手たちは無罪判決を受けたものの、MLB初代コミッショナーのケネソー・マウンテン・ランディスにより、野球界から追放されました。
この事件以降、ホワイトソックスは長期間低迷し、ワールドシリーズ制覇から遠ざかりました。
1940年代から1950年代にかけて、チームは徐々に復活の兆しを見せます。
1951年にクリーブランド・インディアンスから獲得したミニー・ミノーソは、ホワイトソックス初の黒人選手として活躍。
俊足巧打の外野手として知られ、5つの年代にわたってプレーした「5ディケード・プレイヤー」として歴史に名を刻みました。
また、1950年に加入したネリー・フォックスと、1956年にデビューしたルイス・アパリシオは、リーグ屈指の二遊間コンビを形成。
1957年にアル・ロペスが監督に就任すると、チームは機動力を活かした「ゴーゴー・ソックス」と呼ばれるスタイルで、1959年に40年ぶりのリーグ優勝を果たしました。
この年、投手のアーリー・ウィンが22勝でサイ・ヤング賞を獲得するなど、投打が噛み合いましたが、ワールドシリーズではロサンゼルス・ドジャースに敗れました。
再建と2005年の栄光
1960年代以降、ホワイトソックスは再び低迷期に入りますが、1980年代から1990年代にかけて新たなスター選手が登場します。
一塁手のフランク・トーマスは、ホワイトソックスの歴史上最も偉大な選手の一人とされ、チームの歴代記録でラン、2塁打、本塁打、塁打、四球数でトップに君臨しました。
1993年には西地区優勝を果たし、トーマスやロビン・ベンチュラ、ジャック・マクダウェルらが活躍しましたが、プレーオフで敗退。
1994年はストライキによりシーズンが中断され、優勝のチャンスを逃しました。
2004年にオジー・ギーエンが監督に就任すると、チームは新たな黄金期を迎えます。
2005年、ホワイトソックスはポール・コネルコ、マーク・バーリー、A.J.ピアジンスキー、ホセ・コントレラス、スコット・ポドセドニクらを中心に99勝を挙げ、中地区優勝を達成。
プレーオフではボストン・レッドソックスをスイープし、リーグ優勝決定戦でロサンゼルス・エンゼルスを破り、46年ぶりのリーグ優勝を果たしました。
ワールドシリーズではヒューストン・アストロズを4勝0敗で下し、88年ぶりのワールドチャンピオンに輝きました。
この勝利は、ブラックソックス事件以来の長い低迷を打破する歴史的な瞬間でした。
最近の動向と挑戦
2005年の優勝以降、ホワイトソックスは再び安定した成功を収めるのに苦労しました。
2020年にはルーカス・ジオリトがノーヒッターを達成し、ホセ・アブレイがアメリカンリーグMVPを受賞するなど、明るい話題もありました。
この年、チームは35勝25敗でプレーオフに進出しましたが、ワイルドカードシリーズでオークランド・アスレチックスに敗れました。
2021年にはトニー・ラ・ルッサが監督として復帰し、中地区優勝を果たしましたが、プレーオフでは敗退。
近年は若手選手の育成とチーム再建に注力していますが、2024年には球団ワースト記録の121敗を喫するなど、厳しいシーズンも経験しています。
主な所属選手
ホワイトソックスの歴史には、数多くの名選手が名を連ねます。
以下は代表的な選手の一部です
シューレス・ジョー・ジャクソン(1915-1920):ブラックソックス事件で追放されたが、通算打率.356を誇る名外野手。
エディ・コリンズ(1915-1926):内野手として活躍し、殿堂入り。通算3,315安打を記録。
ミニー・ミノーソ(1951-1957, 1960-1961, 1964, 1976, 1980):ホワイトソックス初の黒人選手。5ディケード・プレイヤーとして知られる。
ネリー・フォックス(1950-1963):二塁手として殿堂入り。1959年のリーグ優勝に貢献。
ルイス・アパリシオ(1956-1962, 1968-1970):俊足の遊撃手で、1959年に56盗塁を記録し、盗塁王に輝く。
フランク・トーマス(1990-2005):通算521本塁打を記録し、チームの顔として長年活躍。殿堂入り。
ポール・コネルコ(1999-2014):2005年のワールドシリーズで活躍し、チームの象徴的な存在。
マーク・バーリー(2000-2011):2005年の優勝に貢献した左腕投手。2007年にノーヒッターを達成。
ホセ・アブレイ(2014-2020):2020年にアメリカンリーグMVPを受賞した強打者。
地域とのつながり
ホワイトソックスはシカゴ南部の「サウスサイダーズ」として親しまれ、同じシカゴを本拠地とするカブスとはライバル関係にあります。
カブスが市北部で人気があるのに対し、ホワイトソックスは南部で強い支持を受け、ポーランド系アメリカ人選手を好んで獲得する傾向があります。
本拠地のギャランティード・レート・フィールドは、1991年に開業し、伝統的なコミスキー・パークのデザインを引き継いでいます。
まとめ
シカゴ・ホワイトソックスは、MLBの歴史ある球団として、数々の栄光と試練を経験してきました。
1906年と1917年のワールドシリーズ優勝、2005年の88年ぶりの制覇は、ファンにとって忘れられない瞬間です。
ブラックソックス事件のような暗い歴史も乗り越え、ミニー・ミノーソやフランク・トーマス、ポール・コネルコといった名選手たちがチームの誇りを築き上げました。
現在は再建期にありますが、若手選手の成長とともに、再び栄光を取り戻す日が期待されています。
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