カンザスシティ・ロイヤルズは、1969年の創設以来、機動力と守備力を武器にメジャーリーグで独自の存在感を放つ球団です。
1985年と2015年のワールドシリーズ優勝を誇り、ジョージ・ブレットやサルバドール・ペレス、ボビー・ウィット・ジュニアといったスター選手が歴史を彩ってきました。
カウフマン・スタジアムを本拠地に、地域の誇りを背負いながら戦うロイヤルズの物語を、歴史と名選手を中心に振り返ります。
創設と初期の歴史
カンザスシティ・ロイヤルズ(Kansas City Royals)は、1969年にメジャーリーグベースボール(MLB)のアメリカンリーグ(AL)西地区に拡張球団として創設されました。
ミズーリ州カンザスシティを本拠地とし、カウフマン・スタジアム(当時はロイヤルズ・スタジアム)をホームスタジアムとしています。
球団名「ロイヤルズ」は、カンザスシティで開催される家畜ショーやロデオのイベント「アメリカン・ロイヤル」に由来し、地域の文化を反映しています。
創設時のオーナーはユーイング・カウフマン氏で、彼のビジョンが球団の基盤を築きました。
1969年の初年度は、シアトル・パイロッツ(現ミルウォーキー・ブルワーズ)と共にアメリカンリーグに参入しましたが、成績は振るわず、地区4位(6チーム中)に終わりました。
しかし、3年目の1971年にはボブ・レモン監督の下で85勝76敗と初の勝ち越しを達成。
1973年にはジャック・マキーオン監督が就任し、チームは機動力と守備力を武器に強さを発揮し始めました。
この時期、広い外野と人工芝のロイヤルズ・スタジアムで、俊足の選手たちが活躍するスタイルが確立されました。
黄金時代(1976年~1985年)
ロイヤルズの歴史において、1976年から1985年は黄金時代と呼べる時期です。
1975年にホワイティ・ハーゾグ監督が就任すると、チームはさらに飛躍。1976年にはジョージ・ブレットの打率.333での首位打者獲得を背景に、初の地区優勝を果たしました。
この年、リーグチャンピオンシップシリーズ(ALCS)でニューヨーク・ヤンキースと対戦しましたが、劇的なサヨナラ負けでワールドシリーズ進出は逃しました。
1977年と1978年も地区3連覇を達成するも、ヤンキースの壁を越えられませんでした。
1980年には、ついにALCSでヤンキースを破り、初のワールドシリーズ進出を果たしますが、フィラデルフィア・フィリーズに敗れました。
この時期のロイヤルズは、ジョージ・ブレット、フランク・ホワイト、ウィリー・ウィルソン、エイモス・オーティス、アル・コーウェンズ、ハル・マクレーといった機動力と守備力を兼ね備えた選手たちが活躍。
ブレットは特に1980年に打率.390を記録し、松ヤニ事件(バットに松ヤニを塗りすぎたとしてホームランが取り消されたエピソード)でも話題となりました。
黄金時代の頂点は1985年です。
ディック・ハウザー監督の下、ロイヤルズはワールドシリーズでセントルイス・カージナルスを破り、球団初のワールドチャンピオンに輝きました。
このシリーズでは、ブレットの活躍や、審判の誤審とも言われる「ドンク・デンキンジャーのコール」が話題となりました。
投手陣では、ブレット・セイバーヘイゲンがサイ・ヤング賞を受賞するなど、攻守にバランスの取れたチームでした。
低迷期(1990年代~2000年代)
1985年のワールドシリーズ優勝後、ロイヤルズは徐々に低迷期に入ります。
1994年にアメリカンリーグ中地区に移行しましたが、成績は安定せず、2000年代初頭には深刻な状況に陥りました。
2002年には球団史上初のシーズン100敗(62勝100敗)を記録し、監督がシーズン中に2度も交代する事態に。
この時期は若手育成や経営面での課題が浮き彫りとなり、ファンの間でもフラストレーションが溜まりました。
復活と2014年~2015年の快進撃
2010年代に入ると、ロイヤルズは再び輝きを取り戻します。
2014年、青木宣親選手の加入もあり、チームはワイルドカードからプレーオフに進出。
ワイルドカードゲームでオークランド・アスレチックスを破ると、一気に勢いに乗り、ワールドシリーズまで進みました。
しかし、サンフランシスコ・ジャイアンツに敗れ、優勝には届きませんでした。
それでも、この年はロイヤルズの機動力野球が復活した象徴的なシーズンでした。
2015年、ロイヤルズは再びワールドシリーズに進出し、ニューヨーク・メッツを破って2度目のワールドシリーズ優勝を達成。
この年のチームは、エリック・ホズマー、マイク・ムスタカス、ロレンゾ・ケイン、アルシデス・エスコバーといった若手選手と、サルバドール・ペレスのリーダーシップが光りました。
投手陣では、ケルビン・ヘレーラやウェイド・デービスによる強力なリリーフ陣が相手打線を封じ込め、「ロイヤルズ・ブルペン」の名を轟かせました。
最近の動向
2015年以降、ロイヤルズは再び低迷期に入りましたが、2020年代に入ると再建が進み、2024年には中地区2位でディビジョンシリーズに進出。
マット・クアトラーロ監督の下、若手選手の成長とベテランの活躍がチームを牽引しています。
特に、ボビー・ウィット・ジュニアが2025年のオールスターゲームに選出されるなど、チームの未来を担うスターとして注目されています。
主な所属選手
ロイヤルズの歴史を語る上で欠かせない選手たちを紹介します。
ジョージ・ブレット(1973年~1993年)
ロイヤルズの象徴であり、球団史上最高の選手。
通算3154安打、打率.305、317本塁打を記録し、1980年には打率.390で首位打者。
1985年のワールドシリーズ優勝にも大きく貢献し、殿堂入り選手です。
フランク・ホワイト(1973年~1990年)
守備の名手として知られる二塁手。
ゴールドグラブ賞を8回受賞し、堅実な守備と機動力でチームを支えました。
ウィリー・ウィルソン(1976年~1990年)
俊足の外野手で、盗塁王を獲得。
1985年のワールドシリーズでも活躍しました。
ブレット・セイバーヘイゲン(1984年~1991年)
1985年と1989年にサイ・ヤング賞を受賞したエース投手。
1985年のワールドシリーズではMVPに輝きました。
サルバドール・ペレス(2011年~)
2015年のワールドシリーズMVP。
強肩とリーダーシップでチームを牽引し、2024年にはロベルト・クレメンテ賞を受賞。
ボビー・ウィット・ジュニア(2022年~)
若手スターとして急成長。
2025年オールスターゲーム選出選手。
日本人選手
過去にはマック鈴木(1996年~1999年)、野茂英雄(2005年)、薮田安彦(2008年)、青木宣親(2014年)が在籍。
青木は2014年のワールドシリーズ進出に貢献しました。
その他の注目選手他にも、1980年代にはハル・マクレーやエイモス・オーティス、2010年代にはエリック・ホズマーやマイク・ムスタカスがチームの顔として活躍。
投手では、ザック・グレインキーが2009年にサイ・ヤング賞を受賞し、2023年にもロイヤルズに復帰して話題となりました。
まとめ
カンザスシティ・ロイヤルズは、1969年の創設以来、黄金時代と低迷期を繰り返しながらも、機動力と守備力を武器にファンを魅了してきました。
1985年と2015年のワールドシリーズ優勝は、球団の歴史に輝く瞬間です。
ジョージ・ブレットやサルバドール・ペレス、ボビー・ウィット・ジュニアといった名選手たちが、チームの伝統を築き上げ、現在も未来への希望をつないでいます。
カウフマン・スタジアムの美しいフィールドで、これからもロイヤルズの物語は続きます。
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