デビューから4年連続で2桁黒星を喫しながら、その都度ローテーションを守り続けた左腕がいます。
長崎県大村市出身の隅田知一郎(すみだ・ちひろ)、左投左打。
キレのある変化球が魅力の左腕で、2024年はリーグ2位となる179回1/3を投げ、防御率2.76を記録するなど、年を追うごとに確かな成長を刻んできました。
2025年には自身初の2桁勝利を達成し、初のオールスター選出と月間MVP受賞も果たし、いよいよ「エース」の称号に手が届きつつあります。
競技との出会いから頭角を現すまで
大村市立西大村小学校2年生のときに大村クラブで軟式野球を始め、大村市立西大村中学校軟式野球部ではエースとして活躍した隅田。
長崎の海沿いの街で培った投手としての土台を胸に、長崎県立波佐見高等学校へ進学し、1年時からベンチ入りを果たします。
しかし順風満帆ではありませんでした。
2年秋にエースとなったものの、左肘を疲労骨折し離脱という試練に直面します。
それでも腐らず、懸命にリハビリに取り組んで復帰。
3年夏の長崎大会で優勝し、第99回全国高等学校野球選手権大会に出場。
開幕戦の彦根東との1回戦に先発登板し、9回裏2死までリードを守る熱投を見せたものの同点とされて降板し、チームは惜しくもサヨナラ負け。
甲子園のマウンドでの経験は短くも、その左腕の可能性を広く知らしめる機会となりました。
大学は西日本工業大学工学部へ進学。
ここで球威と変化球の精度を磨き上げ、「大学No.1投手」の呼び声を集める存在へと成長します。
4年春には第70回全日本大学野球選手権記念大会に出場し、上武大学との1回戦で14奪三振を記録するなど実力を証明。
リーグ戦通算で14勝を記録し、いよいよプロの舞台へ向けてプロ志望届を提出しました。
2021年10月11日のドラフト会議では、埼玉西武ライオンズ、広島東洋カープ、読売ジャイアンツ、東京ヤクルトスワローズの4球団から1位指名を受け抽選の結果、西武が交渉権を獲得。
長崎の少年が、夢にまで見たプロの切符を手にした瞬間でした。
入団にまつわる微笑ましいエピソードも残っています。
西武の若獅子寮に入寮する際、実家のある長崎に財布を忘れたまま羽田空港まで着いてしまい、担当スカウトの岳野から1万円を借りざるを得ない状況となった。
当時の辻発彦監督は「大物というか、ワクワクしていたのかな。いいエピソードですよ」と笑顔で話したというこの逸話は、隅田のおおらかな人間性を感じさせます。
プロ入り後の軌跡とターニングポイント
1年目の2022年は、球団の新人では牧田和久(2011年)以来となる開幕ローテーション入りを果たし、3月26日のオリックス・バファローズ戦でプロ初登板初先発。
7回1安打3四球5奪三振無失点、二塁すら踏ませない好投でプロ初勝利を飾りました。
これほどの鮮烈なデビューはなかなかありません。
ところが、その後は黒星が積み重なり、パ・リーグ新人史上初となるシーズン10連敗を喫し、1勝10敗・防御率3.75でシーズンを終えたという苦い洗礼を受けます。
続く2023年もシーズン初登板で敗戦投手となり、「シーズンを跨いだ最長連敗」の球団記録を更新する自身12連敗を喫したところから始まりました。
それでも隅田は折れませんでした。
4月19日のソフトバンク戦で389日ぶり(プロ初登板以来)の白星となるシーズン初勝利を挙げると、8月9日の日本ハム戦では9回132球5安打2四球11奪三振無失点の熱投でプロ初完投・初完封勝利を達成。
長い苦闘の末にたどり着いた完封の達成感は、並々ならぬものがあったはずです。
この年は22試合の先発登板で9勝10敗・防御率3.44を記録し、シーズン終了後は倍増となる推定年俸4000万円で契約を更改。
国際舞台でも第2回アジアチャンピオンシップで韓国戦に先発し7回3安打1死球7奪三振無失点の快投で勝利投手となり、日本の同大会2連覇に貢献。大会ベストナインにも輝きました。
2024年は球質と制球がさらに磨かれ、リーグ2位の179回1/3を投げ、防御率2.76を記録。
6月12日の広島戦ではシーズン初完封でチームの8連敗を止めるなど、勝負どころでの強さも際立ちました。
また2024 WBSCプレミア12の代表にも選出(準優勝)され、国際経験もさらに積み上げています。
そして2025年、すべてが噛み合ったシーズンが訪れます。
4月には4試合に先発してリーグトップの4勝・防御率0.58という圧巻の数字を残し、自身初の月間MVPを受賞。
6月終了時点では12試合に先発し7勝3敗・防御率1.52と好成績を収め、監督選抜で初のオールスターに選出されます。
後半戦は多少ペースが落ちたものの、9月21日の楽天戦でシーズン10勝目を挙げ、自身初の2桁勝利を達成。
23試合の先発登板で10勝10敗・防御率2.59を記録し、この年も開幕から一度も登録抹消されることなく先発ローテーションを守り抜いたのは、特筆すべき鉄腕ぶりです。
プレースタイルの特徴と主な実績
隅田の真骨頂は、本人が最も自慢とするチェンジアップにあります。
チームメイトの中村優斗が「今まで見たチェンジアップと違い、止まってから落ちる」と評したように、ブレーキが効いていて落差もあるという独特な軌道を持ち、本人も「すごく特殊なのかなと思います」と自負しているこの変化球は、打者にとって対応が極めて困難。
2024年シーズンでは12球団トップのwCH(チェンジアップの球価値指標)10.8を記録したという数字が、その異次元の質を証明しています。
「投球フォームに欠点はない左腕」と評されるしなやかな左腕から繰り出されるストレートとスライダーを軸に、独特のチェンジアップで三振を量産。
制球力も年々向上しており、長いイニングを安定して投げ続けるスタミナも大きな強みです。
主な実績としては、アジアプロ野球チャンピオンシップ2023日本代表(優勝・ベストナイン)、2024 WBSCプレミア12日本代表(準優勝)、2025年3・4月度月間MVP 、2025年オールスター選出、自身初の2桁勝利(2025年)が挙げられます。
そして2026年WBCにも代替選手として選出され、国際舞台での存在感を示し続けています。
まとめ
デビューから4年連続で2桁黒星という、他の投手なら心が折れてもおかしくない数字を背負いながら、隅田知一郎はそのたびにマウンドへ戻ってきました。
2022年1勝、2023年9勝、2024年9勝、2025年10勝という年度別成績の推移は、そのまま一人の左腕の成長曲線そのものです。
甲子園で肘を痛め、大学では独特のチェンジアップを磨き、プロでは連敗地獄を乗り越えた。
すべての困難が今のピッチングの糧となっています。
弱体化が叫ばれる埼玉西武にあって、毎年ローテーションを守り抜く姿はチームの希望の光。
2026年WBCでの活躍も記憶に新しい中、長崎が生んだ不屈の左腕が、いよいよ「エース」として球界の頂点を目指す時が来ています。





















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