千葉県富津市が生んだ右腕、藤平尚真選手。
2016年ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスから単独1巡目指名を受け、横浜高校から鳴り物入りでプロ入りした逸材でありながら、その道のりは決して平坦ではありませんでした。
7年間先発として結果を出せず苦しんだ男が、リリーフ転向という大きな決断を機に見事な変貌を遂げ、日本代表の舞台でその存在感を世界に示した。
それが藤平尚真という投手の物語です。
競技との出会いから頭角を現すまで
千葉県富津市立吉野小学校1年の時から野球を始めた藤平は、5年の時に出場した第25回全国小学生陸上競技交流大会千葉県選考会のソフトボール投げで大会新記録の71m13cmを樹立して優勝するなど、幼い頃からその身体能力は別格でした。
野球だけに留まらず、中学3年の時には陸上のジュニアオリンピックにも出場しています。
小学6年の時には千葉ロッテマリーンズジュニアチームに選抜されNPB12球団ジュニアトーナメントで優勝。
富津市立大貫中学校時代には千葉市リトルシニアに所属しながらU-15日本代表にも選抜された実力の持ち主です。
その後、進学した横浜高校での成長ぶりはめざましく、1年の時の春からベンチ入りを果たすと、1年時の秋からエースの座を確保します。
ただ、高校時代も壁にぶつかることはありました。
2年の時の神奈川大会では決勝まで進んだものの、小笠原慎之介、吉田凌らを擁する東海大相模に敗れ準優勝。
悔しさを糧に研鑽を続け、3年の時の夏に神奈川県大会を制し、第98回全国高等学校野球選手権大会初戦の東北高校戦では7回途中まで13奪三振1失点と好投。
2試合通算で13回を投げて20奪三振、防御率0.69という好成績を残しました。
このころにはドラフト1位候補という評価が万全のものとなっており、楽天の球団関係者からは星野仙一シニアアドバイザー(当時)から「200勝できる可能性がある投手」というオーダーで藤平を選んだと言われるほど、高い評価を受けていたのです。
プロ入り後の軌跡とターニングポイント
2016年度NPBドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスから単独1巡目指名を受け、野村克也が監督を退任した2009年から空番として扱われていた背番号19を与えられた藤平。
それほど大きな期待を背負ってのプロ入りでした。
ルーキーイヤーの2017年は8試合に登板して3勝4敗・防御率2.28と、高卒1年目としては及第点以上の成績を残します。
翌2018年も14試合の先発で4勝をマークし、順調な滑り出しに見えました。
しかし以後は故障や不振が重なり、2019年から2021年にかけては長い苦しみのトンネルが続きます。
2021年は二軍でも18試合の登板で0勝6敗・防御率7.16という成績に終わり、プロ入り後初の一軍登板ゼロという苦境に追い込まれました。
暗いトンネルから光が差し込み始めたのは2022年のこと。
8月21日のロッテ戦では6回途中無失点と好投し、一軍では自身1434日ぶりとなる白星を手にします。
この勝利が、長い迷走に一本の筋を通した瞬間でした。
そして2023年オフ、決定的なターニングポイントが訪れます。
今江敏晃新監督が藤平にリリーフ転向を打診。
今江監督は「(藤平は)ストイックな選手。探究心が強すぎる余り、1週間の間にいろいろと考えすぎていた」
「中継ぎとして毎日試合に入って、毎日ボールを握っている方が彼はいいんじゃないか」と語ったといいます。
考えすぎるほど真剣に野球と向き合ってきた男だからこそ、「考えない環境」が逆に力を解放する。
この監督の慧眼が、藤平の才能を一気に開花させました。
2024年はリリーフとして開幕を一軍で迎え、5月に左内腹斜筋2度損傷で離脱するも、6月25日に一軍復帰を果たすと後半戦は勝ちパターンに定着。
10月8日の日本ハム戦では2点リードの9回を任され、2奪三振を含む三者凡退に抑え、プロ初セーブを記録しました。
怪我からの復帰後も腐ることなく積み上げた経験が、土壇場の一球に確かに宿っていたのです。
プレースタイルの特徴と主な実績
藤平尚真の投球の核となるのは、リリーフ転向後に磨きがかかった剛速球と縦に鋭く落ちるフォークの二刀流です。
先発から1イニングに全力を使えるリリーフに回ったことで、平均球速は前年の146.9キロから150.6キロまで向上しており、最速156km/hのストレートで打者を圧倒。
そのフォークは奪空振り率24.6%とリーグ3位を記録し、ゾーンの内外を問わず安定してストライクを期待できる精度の高さを誇ります。
投球の奪三振率を示すK%は31.9%を記録し、30回以上を投げた投手の中ではチームトップでリーグ2位という圧倒的な数字がその実力を証明しています。
精神的な強さも特筆すべき武器です。
2024年プレミア12のキューバ戦では、1点リードの最終9回表に登板すると、連打や死球で1死満塁のピンチを招きながら、台風接近による激しい雨の中でも表情を変えることなく三振でゲームを締めたその姿は、まさに「修羅場で輝く」クローザーの佇まいそのものでした。
2024年シーズンの成績を振り返ると、47試合に登板して0勝1敗20ホールド1セーブ・防御率1.75というブレークを果たし、年俸は2550万円増の4000万円(推定)で契約更改となりました。
プレミア12本大会でもチーム最多の6試合に登板し、0勝0敗1セーブ・防御率0.00、計6イニングで被安打4・12奪三振と、侍ジャパンのブルペンを一手に支えました。
さらに2025年シーズンも守護神として固定され、後半戦は失点・自責点ともにゼロ、球団新記録となる29試合連続無失点を継続したままシーズンを終えたという事実が、その進化がいかに本物であるかを示しています。
2026年にはWBCに出場する侍ジャパンの予備登録メンバーに名を連ね、本メンバーの平良海馬の離脱に伴い追加招集されるなど、名実ともに日本を代表するリリーバーへと上り詰めました。
まとめ
小学校のソフトボール投げで大会記録を作った少年が、横浜高校のエースとして甲子園に立ち、ドラフト1位でプロの世界へ。
華々しい経歴に見えて、実際のプロキャリアは苦難と挫折の連続でした。
しかし藤平尚真は諦めませんでした。
7年をかけて積み上げた失敗と悔しさのすべてが、リリーフ転向という転換点で結晶し、防御率1.75・球団新記録の29試合連続無失点という形で爆発したのです。
今江監督が見抜いた「考えすぎるほどの真剣さ」は、今や強さの源泉。
打者を見据えてマウンドに立つその眼差しは、かつての迷いを知る人間だけが持てる静かな確信に満ちています。
「自分個人としては本当に自分自身を成長させてもらえた大会ですし、もっと上を目指したいなって思った」
そう語る藤平尚真の前には、守護神としての頂きがまだ続いています。遅咲きの剛腕が、これから先の野球人生でどんな軌跡を描くのか。
その答えは、きっとこれからのマウンドで示されるはずです。










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