オリックス・バファローズの背番号17、曽谷龍平選手。
2000年生まれの25歳は、大きく曲がるスライダーが武器のサウスポーとして、プロ入り3年目に覚醒を果たし、2026年のWBC侍ジャパンメンバーにも選出されました。
幼い頃から抱いていた夢を、自分の言葉どおりに実現してみせた若き左腕の足跡をたどります。
競技との出会いから頭角を現すまで
斑鳩町立斑鳩小学校1年生のときに野球を始め、中学時代は硬式野球のクラブチーム・志貴ボーイズでプレーしました。
幼少期は筋金入りのオリックスファン。
8歳のときに20歳の自分へ宛てて
「おとなになったらプロやきゅうにはいりたいです。20さいになったらオリックスにはいってください」
と手紙をしたため、14年後の22歳でその言葉どおりに実現させたというエピソードは、彼の野球人生を象徴するものとして語り継がれています。
高校は地元・奈良を離れ、自立して野球をすることに憧れていたこともあり、秋田の明桜高等学校へ進学。
1年夏からベンチ入りし、2年夏には控え投手として第99回全国高等学校野球選手権大会に出場しました。
3年夏は秋田県大会決勝で吉田輝星擁する金足農業高校に敗れたものの、大舞台での経験は次の4年間の土台になりました。
白鷗大学に進学後、1年秋からベンチ入り。
3年時からエースとして活躍し、同年秋のリーグ戦では4勝・防御率0.24の好成績を記録し、最優秀選手、最多勝など多くのタイトルを受賞しました。
4年の春季リーグではノーヒットノーランを達成するなど、最終学年で一皮むけた曽谷をスカウト陣は放っておきませんでした。
白鷗大の藤倉多祐監督は「彼の成長の糧は負けず嫌い。悔し涙を何度も見てきたが、そこからの努力を決して怠らない」と語っています。
プロ入り後の軌跡とターニングポイント
2022年10月のドラフト会議でオリックスから単独1位指名を受け、契約金1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1600万円(推定)で入団。
背番号17を背負うことになった曽谷は、子ども時代に書いた手紙の言葉をそのまま実現させました。
ルーキーイヤーの2023年は開幕を二軍で迎え、4月26日の北海道日本ハムファイターズ戦で3点ビハインドの8回裏からプロ初登板。
1イニングを投げ、2奪三振を含む三者凡退に抑えたものの、その後は登録抹消と再登録を繰り返す日々が続きました。
先発機会を与えられても白星には恵まれず、6度の先発でプロ初勝利が出ないまま秋を迎えます。
レギュラーシーズン最終戦となった10月9日の福岡ソフトバンクホークス戦で6回1安打2四球5奪三振無失点の力投を見せ、7度目の先発でプロ初勝利をつかみとりました。
試合後に「苦しいことばかりで、うまくいかないことの方が多かった」と振り返った言葉に、1年間の重みがにじんでいます。
2年目の2024年は先発ローテーションの一角に定着。
しかし後半は打線の援護に恵まれず、上半身のコンディション不良や試合中に折れたバットが胸部を直撃するアクシデントも重なりました。
オフには右手首の手術を経て、翌シーズンへ再起を誓っています。
3年目の2025年が転機でした。
開幕からローテーションを支え、前年を上回る21試合に先発。
5月18日の埼玉西武戦でプロ初の完投勝利を挙げるなど、前半戦だけでキャリアハイの8勝をマーク。
後半はコンディション面で苦しんだものの、1年を通じて先発左腕としての地位を固めたシーズンになりました。
プレースタイルの特徴と主な実績
曽谷の代名詞は、何といっても大きく曲がるスライダーです。
奪空振り率が向上したことで2ストライクからの使用割合が増加し、2025年シーズンはスライダーが投球割合の最多42.3%を占めました。
追い込んでからの被打率は持ち球の中で唯一の1割台を記録するなど、打者を仕留める決め球として機能しています。
スライダーで奪った三振は54を数え、パ・リーグの左投手ではチームメートの宮城大弥投手に次いで2番目の多さでした。
スライダー、一本に頼らない球種の幅も強みです。
担当スカウトの岡崎大輔は「スライダーがよくて、フォークもよくて、世界で通用するボールを持っている選手」と評したように、最速154km/hのストレートにカットボール、フォークを交えながら打者を崩すスタイルは国際試合向きと判断されています。
オフには広島の九里亜蓮に弟子入りし、1年間投げ抜くための土台づくりにも取り組みました。
向上心は衰えていません。
主な実績は、2022年ドラフト1位指名、侍ジャパン大学日本代表(ハーレムベースボールウィーク出場)、2025年5月18日のプロ初完投勝利。
そして2025年11月の「ラグザス 侍ジャパンシリーズ2025」では韓国打線を3回パーフェクトに抑えるアピールに成功し、2026年WBC日本代表の切符を手にしました。
まとめ
8歳の曽谷少年が書いた手紙は、単なる夢物語ではありませんでした。
奈良から秋田へ、栃木の白鷗大へ。
ひとりで旅を重ねながら磨き上げた左腕は今、侍ジャパンの一員として世界の舞台に立っています。
プロ入り後も苦難の連続でした。
初勝利まで7度かかった先発登板、繰り返す登録抹消、手首の手術。
それでも毎年ひと回り大きくなって戻ってくるのが曽谷龍平という投手です。
担当スカウトが「本番に強い」と言い切るその資質は、2026年WBCという舞台でも問われます。
まだ25歳。次の手紙に何を書くのか、楽しみです。










コメント